19AW COLUMN

LOUD AIRの今回のコレクションテーマは「oxymoron」。

オクシモロン、撞着語法とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指している。

 

冷たい太陽 / 永遠の今日 / ぎざぎざの水 / 近所の惑星 / 青い生肉 / ふかふかのダイヤモンド / どぎついパステル

この世界に存在するかもわからない、頭の中の想像をも超えて、相反するもの と 果てなき思考。

品行方正に散っていく、無数の鱗(うろこ)。

 

私は左手で恐々と魚の腹部をおさえ、右手は鋭く表面の線を捉える。ふいに甘く煮付けた魚が食べたくなって、手軽なダブステップをかける。断片的にそのリズムに乗って、さんざめく鱗をそいでいく。

 

正しく乱反射する鱗は、いつかの記憶をふいに呼び起こす、そう、それは、実家にある調子の狂ってしまったピアノにかけてあった、茜色のベロアの布地。気儘な角度で線を描けば、思わぬ面が光を跳ね返すので、手で触れて、その色を確かめることが好きだったのだ。目を閉じて触れ、目を見開いてその色を知る。幼い時のなんでもない、手遊びにも至らぬその所作は、今の私へと続く。

 

掌で押さえられるほどの、さして大きくない青い魚と、鬱蒼と茂るようなオーロラ色の鱗たち。素朴なまな板の上が、些かドリーミングで、現実離れした生活感に、しばし恍惚と白昼夢を見る。その小さな目が見た大海はどんなに広く深かったのか、この時代に、私は知る手段を未だ持っていない。

 

ねぇ一体、どこの海を泳いでいたの、とたずねたい。私は5メートルも泳げない、クロールをしたらなぜか沈んでしまうのだから。冷たい海流を経て、生温く行き交い、網をくぐって、その果てのまな板から、広くない鉄の鍋で甘くなり、そして、なんてことのない白い長方形の皿へ。そつのないアバンチュール、醤油とみりんが甘く漂う。生姜が鼻腔をこそばゆくさせ、二本の細い木がその身をほぐす。

 

身の程知らずな私と、世界をよく知った顔をした魚。食べた私は、その世界を知れるだろうか。勝手に調理して、勝手に食べて、なにぶん勝手を重ねている。

 

さらば、お魚。そして、私へようこそ。

 

そんな気持ちでいるけれど、魚のほうが一枚も二枚も、三千枚も上手かもしれなくて、食べて満足げな私の腹のうちで、小気味良く笑っているのかもしれない。対極の向こうに、相容れない、不穏で甘美な交わりがある。

 

手で触れ得ぬ、生々しい煮魚の生。

ヨシモト モモエ

1991年生まれ。東京で働く、普通の会社員。企業で広報・編集・ブランディング、ときどき、代官山のお化け屋敷「化け楽」のプロデュースをしつつ金粉隊を結成するなど、思いもよらぬ仕事人生を繰り広げている。複業ではライター、編集手伝い、コピーライティング、踊り。個人の作品として、WEBマガジン「アパートメント」で「踊れる・食卓」全九話を寄稿。

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